ユカイ工学はしばしば「ロボティクスを通じて、世界をより楽しい場所にする」と自らの活動を表現しています。この哲学は、どのようなきっかけで形づくられたのでしょうか。また、どんな個人的な体験が影響していますか?
ユカイ工学を作った時から目指しているのは、家庭で使われるロボットのスタンダードを生み出したい、という情熱です。家庭の中でどんなロボットが求められるようになるか、と考えた時、コンパニオンロボットのようなエモーショナルな価値が重要になるだろう、と考えました。家事を分担できるロボットを考えると、結局家電のような形が最も効率的で合理的になってしまいます。もちろん技術的には家電も十分ロボットと呼ぶことができるほどセンサーを搭載して賢い振る舞いを実現していますが、洗濯機や食器洗浄機に愛情を感じたりニックネームをつけたりする人はいません。たくさんの無機質な機械に囲まれて、全ての家事を自動化してくれるような未来よりも、かわいらしいロボットがパートナーとして存在してくれる未来の方がより私たちを幸せにしてくれるのではないでしょうか。そんな考えから、我々は『ロボットとは人の心を動かす機械である』という定義を提唱しています。本音をいうと、とにかく、かわいいものに囲まれて暮らしたいという願望に動かされている部分も大きいのですが。
多くのテクノロジーは効率や生産性の最適化を目的としています。その中で、タスクをこなすロボットではなく、感情に反応するロボットをデザインすることが重要だと考えた理由は何ですか?
我々は家庭向けのロボット製品を世界中に普及させて行きたいと考えています。タスクをこなす家電を生み出したいわけではありません。未来の人類にとって重要なのは、既に沢山ある家電をさらに増やすことではなく、人としてよりよく生きることにあるはずです。全てを自動化して人の主体性を奪うのではなく、人間の感情をサポートし、前向きな行動を後押ししてくれるチアリーダーのような存在をロボットが担えるのではないか、というのが我々の目指すところです。そして、家庭の中で使われることを考えると、ロボットは人型ではなくかわいらしいデザインが最適なのです。まず、人間というのは人型の造形にとても敏感なので、普段の生活空間に人型のものを置く文化は世界中にほとんど見当たりません。等身大のマネキンや彫刻は、身近にあると単純に不気味なのです。猿がペットとして普及しなかったのも同じ理由ではないでしょうか。人間が犬や猫と一緒に暮らしても不都合がないのは、見た目が全然違うというのも大きな要因です。ペットとなる動物たちの造形や行動は、人間がより可愛いと感じるように進化してきたということもできるでしょう。そういった動物たちのデザインから学ぶことは多いと考えています。
あなたのプロダクトは、沈黙やごく微細な動き、ためらいといった形でコミュニケーションを行うことが多いです。抑制や控えめさを、デザインにおける一種の「知性」だと捉えていますか?
私たちのデザインは、シンプルなインタラクションそのものを楽しんでもらえるように、余分な機能・要素をなるべく削ぎ落とすことを心がけています。もちろん、かわいいものが大好きなので可愛らしくすることに大きな情熱を注いでいますが、あくまでインタラクションの可愛さにフォーカスし、表面的な可愛らしい装飾などにはなるべく頼らないことによって、時代を超えて楽しんでもらえるプロダクトを目指しています。
特に Mirumi は、機能性よりも「恥ずかしさ」や「好奇心」を体現しているように感じられます。Mirumi に出会った人に、「何をしてほしいか」ではなく、「何を感じてほしい」と思っていましたか?
Mirumiは、小さな赤ちゃんがお母さんにつかまって、時には恥ずかしそうにうつむいたり、好奇心旺盛に周りをキョロキョロとする様子をインスピレーションにして生まれたロボットです。電車の中にそんな赤ちゃんがいると、周りの人が呼びかけたり、思わず変な顔をして笑わせようとしたり、でもプイッと向こうを向かれてしまったり、周りの人にちょっとした幸せを届けてくれます。そんな、周りを幸せにできるロボットを目指しています。
日本文化には「間(ま)」、つまり行為と行為のあいだの空白を重んじる価値観があります。この概念は、ユカイ工学のインタラクション設計やタイミングの考え方にどのような影響を与えていますか?
余分な説明や表現をなるべく廃してシンプルなインタラクションに留めているのは、ユーザーの想像力を掻き立てることも狙っています。音や匂いと同じように人間の触覚もまた遠い記憶を呼び起こす力があるのです。また、我々は、ロボットがインタラクションの主役になることを望んでいません。人間に一番必要なのは他の人間とのインタラクションであるべきで、ロボットとのインタラクションがそれを置き換えるべきではないと考えます。犬や猫と一緒にいて心が落ち着くのは、彼らは人間社会の心配ごとに一切無関心であるのも重要な要素でしょう。彼らに人間の言葉をしゃべったりして欲しいわけでは必ずしもないのと同じように、人間に寄り添うロボットも色んなことができる必要は必ずしもないのでは無いでしょうか?
エモーショナル・ロボティクスが世界的に注目される中で、日本的な感性を保ちながら、国際的なオーディエンスに届けるために、どのようなバランスを意識していますか?
私たちは、日本的なものづくりをすることを特段意識しているわけでは無いのですが、海外に製品を持っていくと日本的だと言われることが多いです。それは、かわいいものの捉え方の違いにあるのかもしれません。日本では『癒し』という概念があり、広い意味では、ヒーリングに近い意味もありますが、特に小さな動物やか弱い存在が懸命に生きる様子を愛でる時に感じる、心がほっとする感情を指す意味でよく使われます。また、動物だけではなく、可愛らしいキャラクターグッズを身につけた時や、デジタルペットを飼っているときに感じる温かい気持ちも同じく『癒し』の一種だと捉えられています。私たちの製品は、基本的にこの『癒し』の感情をインスピレーションに生み出されており、同じ『かわいい』の中でもなるべく言語やビジュアルに頼らなくても伝わる『かわいい』を重視しているのが特徴だと思っています。
AI や自動化によって形づくられていく現代社会において、感情に寄り添うテクノロジーは、日常生活の中でどのような役割を果たすべきだと考えていますか?
面白いエピソードがあって、私たちの製品で、高齢者向けのスマートスピーカー機能を持ったロボットがあるのですが、それをおばあちゃんの服薬のリマインダーに使っているユーザーさんから教えてもらったお話です。そのユーザーさんは、今までおばあちゃんが薬の飲み忘れた時に、それを家族が直接指摘すると不機嫌になって逆になかなか素直に薬を飲んでくれなくなってしまうことにとても苦慮していたそうなのですが、ロボットにリマインドしてもらうようにすると、「お利口なロボットだね〜ありがとうね」と言っておばあちゃんがスムーズに薬を飲んでくれるようになってとても助かった、ということがあったそうです。こんな風に、ロボットは人のコミュニケーションを円滑にするような働きをしたり、人の気持ちを素直で前向きにしてくれるような大きな可能性を秘めていると考えています。AIやセンサーの情報が普及することによって、人間の行動をより理解可能なロボットが実現した今、ますますロボットは人間に寄り添うパートナーとしての役割を担っていくのではないでしょうか?
今後を見据えたとき、プロダクトそのものではなく、「人の体験」という観点で、ユカイ工学の未来について最もワクワクしていることは何ですか?
僕たちは、一貫して人に寄り添う可愛らしいロボットを作り続けてきました。日本やアジアの文化では、可愛いものを所有したり身につけることは年齢·性別を問わず広く受け入れられてきましたが、一方ヨーロッパやアメリカでは子供っぽい、幼稚だと受け取られがちでした。それが、最近大きく変わりつつあるのを感じており、自分たちの可愛いロボットの可能性も広がってきていることに本当にワクワクしています。